越後『学び合い』の会の振り返り

昨日は越後『学び合い』の会がありました。

記憶が新鮮なうちに、学びを残しておきます。

 

昨日の会の、あの圧倒される雰囲気。

大人に囲まれたからでしょうか、教員として働いている先生方がたくさん参加されていたからでしょうか。それももちろんあるのですが、『』のつながりを目の当たりにして、その凄さに圧倒されたのが1番大きいです。会場全体の熱量がとんでもなく高くて、それがひしひしと伝わってきました。「自分もこのつながりの中に入っちゃったのか」という、喜びと興奮がありました。西川ゼミに入っていなかったら、今頃全然違うことをしていたんだろうなと思います。つながりやご縁に感謝です。話せなかった方も多いのですが、それでも、あの場にいれば同じ(似た)軸を持っていることが分かりました。改めて、つながりの強さや可能性を感じました。

 

 

①寺小屋TANQの代表をされている市川さんのお話

子どもたちの可能性を伸ばすのも潰すのも、教師なのだと感じました。市川さんのお話には、聞いていて辛くなるお話もありました。学ぶことが大好きな子どもの心をへし折っているのは、学校の先生でした。でも、先生も子どもの心をへし折ってやろうなんて、まったく思っていません。思うはずもありません。学校のシステムが、先生にも、子どもにも、無理を強いているのだと感じました。工業社会の呪縛はまだ続いています。いつまで続くのでしょうか。学校の先生を目指す私にとっては、学校の弱さや問題点ばかりが浮き彫りになって、とても悲しく、歯痒く、泣きそうになりました。みんな幸せになりたい(したい)はずなのに、現状に合わない工業社会の考え方に基づく学校のシステムによって、ボタンの掛け違いが起きています。一度ズレてしまったら、そのズレは大きくなるしかありません。

16%を超えるのを待つしかないのが歯がゆいです。待っているだけではなく、気づいた時点で先手を打って、目の前の子どもを救うためにできる、最善のことをやるのが重要になると感じました。

 

②パネルトーク

自分のものさしを常に新しいものにしていくというお話が印象に残りました。西川先生の『学び合い』ではなく、自分の『学び合い』にする必要があると話されていました。守破離でいう離の位置になれ、ということだと受け取りました。『学び合い』は手段ではなく考え方。だからこそ、自分の中に落とし込んで、自分の『学び合い』を創造していくことが大切になると分かりました。『』の仲間とつながることで、師が退職された後も、自分の中の『学び合い』の軸がブレないようにしたいと思いました。

 

③『』リーダー論

分科会では、『』リーダー論を聞きました。管理職などの役職に就かれて活躍されている方のお話を聞きました。特に印象的だったお話は2つありましたが、そのうちの1つは、『』実践者こそ管理職を目指そう!というお話でした。管理職が『学び合い』をすることで、多くの子どもや先生が救われると話されていました。(私は、最終的に管理職について、誰一人見捨てない教育と社会の実現を目指したいと思っています。師著書の「忙しい!」を誰も言わない学校の終わりの部分(131ページ以降)を読んだ時に、管理職になる!と決めました。)実際に管理職に就かれて活躍されている方のお話は、興味深いものでした。もう一つ印象的だったのは、2つ視座を上げて物事を見る癖をつけるというお話です。現状に満足せず、物事を俯瞰する余裕を持ち合わせることが大切だと感じました。一歩進んで考える癖をつけていきたいです。今を点として捉えるのではなく、人生規模で考えたときの線上の点として見る。線を見越して今を過ごすことが大切だと分かりました。

 

【メモ】

・教育機会確保法によって、フリースクールに登校している子は、不登校にカウントされていない場合がある。

不登校30万人には、病欠・経済的理由の子どもはカウントされていない。(→実際には、不登校の子どもは30万人より多いかもしれない。)

・『』は自然体

フリースクールが公的承認を受けるかもしれない。そうなった場合、一条校はどう生き残る?(あるいは生き残れない...?)

・障害はその場が作り出す。

・教えるプロだけど、子どもたちが育たないと意味がない。子どもを育てる手段としての『学び合い』

・子どもたちにとって1番良くないのは無政府状態

 

たくさん学んで、たくさん考えて、たくさん話します。勉強します!💪