川崎市子どもゆめパークの元所長の西野博之さんの講演会を拝聴させていただきました。
語る言葉の重みがすごかったです。社会のこれからの動きを、30年以上も前に実現してしまっている。
こうしていきたい、こうあってほしい。そう思っている学びの形がもう既に出来上がっていました。
そこで過ごす人たちは本当にキラキラしていて、子どもも大人も、心から楽しい!と思っている表情を浮かべていました。
貴重なお話を、本当にありがとうございました。
《メモ》
・10〜39歳の死因第一位は自死
昨年度、小中高生の自死は514人。1980年の統計を開始してから初めて500人を超えて、過去最多となった。こんなに多くの子どもたちが、自ら命を経っている。15〜29歳に限っては、死因の50%以上が自死。(学生・生徒などの自殺の分析 厚生労働省より)
不登校、引きこもりは命に関わる問題。
・子どもの「自信」を奪う大人の「不安」
貧困や過干渉による子どのへのストレスは計り知れない。
勉強ができる子、運動ができる子、友だちが多い子になってほしい...そんな、自分自身が「正しい」大人として見られたいという不安が、子どもの自身を奪っていく。
幼児の頃から、過剰に教育に力を注いだり、スポーツを習わされたりする風潮がある。「お受験」という言葉も、もはや目新しいものではなくなった。
「ちゃんと」「普通」が(過剰に)求められる環境では、弱音を吐けない。だからこそストレスが溜まり、矛先が他の子どもに向く場合もある。
子どもの代わりに石橋を叩いて、大人が先に渡ってみて、渡りきって十分に安全だと確認できた上で子どもを渡らせる。安心安全にこだわりすぎるあまり、子どもたちからは自信を奪ってしまっているのが現状です。
安心安全な道を歩かせることよりも、前にある道をいかにして渡っていくか、その道標を示すことこそが大人の役目だと感じました。
・不登校は学校嫌いではない。
「学校が安全で、安心して楽しく学べるなら、学校に行きたい」
子ども一人ひとりが思う「安全・安心・楽しい」は違えど、それを削ぎ落としてしまっているのは学校という環境やシステム、大人の中にある旧社会のコードなのだなと。
集団の雰囲気、におい、音など、感覚が過敏な子にとっては辛い場所にもなる学校。
行きたくても行けない、そしてどうして行けないのかが(複雑に絡まっているせいで)自分でも分からない子どもに対して、「学校においで」というスタンスは改めるべきだなと。
続きはまた書きます。