私の実家は幸運にも原型をとどめており、電気もつきます。
また、お隣さんも井戸のお水を分けてくださったりお手洗いも貸してくださったりととても良くしてくださるので、とりあえず実家で生活ができてきます。
今日は、避難所で生活している親戚やご近所の方から、避難所での出来事を聞きました。
お話によると、
・少ししかない食べ物をお代わりしたいと言って、他の人の分も持っていく方がいる。
・休む暇もなくずっと動いている方もいる。
・慣れない環境や知らない人との共同生活でのストレスから、いろんなところで言い合いが起きている。
・体調を崩す方がいる。
・医療関係者の方に負担が集中している。医療関係者が頼りにされすぎて、医療関係者の方の心身の疲弊が特にすごい。(けれど代われる人もいなくて...という現状)
・介護が必要な方などの対応に追われている避難所もある。(圧倒的に若い人がいない)
・泥棒や盗難に怯えて暮らす毎日。
・それでも、食べ物を分けてくれたり、譲り合ってくれる人もいる。
このようなお話を聞きました。
私が知らない困りごとも、他にもたくさんあると思います。
みんなが被災者。
けれど、やっぱり自分の命が1番大切。自分や自分の家族を守ることだけで精一杯です。
自分の命を守れたら、そして自分が大切にしたいと思うものも守れたら。
これに勝ることはありません。
けれど、みんながみんな自分のことだけを考えていれば、うまくいかない。
他の人のことを気遣う余裕もない人だっています。
協力が大切なのは分かる。みんなで協力したい。
けれど、全然分かり合えない人も一定数います。
余裕がない状態では、いさかいも起きます。
けれど、いさかいを止める元気もありません。
なかなか上手くいきません。
他の人の分の食べ物を持っていく人も、休む暇もなくずっと動いてくれている人も、介護を必要としている人も、医療関係者も、パンを分けてくれた人も、お隣の良くしてくださるおばさんも、ジャンボリミッキーを踊っていた母校に避難されている人も、みんな被災者です。
みんなが被災者。困っているのは同じ。
助け合いたいのはもちろんですが、私たちが動くことで通行の邪魔になることも事実で。
お隣の方が井戸の水を分けてくださるので、お米を炊くこともできます。
炊いたお米を避難所の方に分けたいという気持ちもあります。
けれど、私たちが動くことで通行の邪魔になれば、救える命も救えなくなります。
今目の前には食べ物があって、水もあって。
他の人にも分けてあげたいと思っても、それが邪魔になってしまうというのも頭で分かる。
それが本当にもどかしい。
サバイバーズ・ギルトかもしれないと思う人が身近にいます。
けれど、それを救える方法も知らなければ、「申し訳ない、申し訳ない、、、」「私たちは恵まれてる、、、食べれてない人もいるのにこんなに食べて、、、」という言葉をずっと繰り返されることで、ストレスを感じてしまう自分もいます。
その人の苦しみも分かる。けれど、今の自分が苦しいのも事実で。
その人に手を差し伸べられるほどの余裕が今の私にはありません。
そして、その人に対してストレスを持ってしまう自分のことも嫌になってきます。
なんでこんなことになってしまったんだろう。苦しんでいる人は他にもいるんだよ。
そんな、答えのない問いや分かっていることをずっと聞かされると、だんだんその人が嫌になってきてしまいます。
その人も苦しんでいるのに。
けれど自分も苦しい。
みんなが被災者。
そんな人たちをおいて、自分だけ新潟に戻ることにも罪悪感を持ってしまう。
なんとかやるから、元気にしてて!と笑いかけられても、すぐには頷けない。
妹や弟の前で泣いてしまったら、弟や妹が泣けなくなる。だから泣きたくない。
みんなの心に、絆創膏を貼ってほしい。