昨日の16時10分頃、大地震が起きました。
震度5の地震が来たときには、パートナーに安否を確認できましたが、その直後の本震でWi-Fiが途切れ、連絡が取れなくなりました(今日の夕方に、Wi-Fiが復活したので、今は連絡が取れるようになりました。)
地震が起こったときは、弟と一緒にダイニングテーブルの下に隠れました。
テーブルの足につかまっていても、テーブル自体がフローリングの上をスルスルと滑りました。
そして、弟の後ろにあった食器棚が倒れはじめました。
棚の中からは、食器がガチャンガチャンと音を立てて山ほど落ちてきます。
私たちが隠れているテーブルの下にも食器が飛んできます。
足元では、飛んできた食器が割れていました。
賞状を飾ってあった額も割れて、そのガラスも降ってきます。
また、冷蔵庫のふたも、開いたり閉じたりしていました。
冷蔵庫、冷凍庫、食器棚、収納棚が段々とテーブル側に迫ってくるのを感じます。
でも、足元にも割れた食器が散乱していて、そういった家具を押さえようにも押さえられない。
弟と「大丈夫」「大丈夫だからね」「すぐにおさまるからね」と声をかけながら、隠れ続けました。
周りの状況は、正直全然大丈夫じゃない。こんなできごともはじめてで。
でも、だからこそ、自分たちに言い聞かせるように、「大丈夫だからね」と言い合いました。
リビングにいた両親と妹とも、「大丈夫やからね」「無事か?!」と声をかけ合いました。
今までに経験したことのない揺れです。
多分、人生で一度経験するか否かのレベルです。
少し揺れがおさまったと思っても、またすぐに揺れて。
外に避難すべきなのは分かっていても、足元には割れた食器、額縁のガラス片、たくさんの書類があって先に進もうにも進めず。
玄関から出ることは不可能だったので、父に手を引かれ、やっとのことでリビングの小窓から脱出しました。
とにかく全員無事でよかった。本当に、この一言につきます。
いまだにですが、なんだか自分ごとではない感じがして。
ストレスから身を守るための逃避なのでしょうか。
「まさか」の出来事がまさか自分にも起きるとは、、、といった感じです。
近所の方と声を掛け合って、近くの広い駐車場まで避難して、車内で一夜を明かして。
ラジオから聞こえてくるのは、「この地震による被害の全貌は、いまだに分かっていません」という声。
パートナー・友だち・親戚・いとこ・知り合いは無事だろうか...。
そう思うと、なかなか寝つけませんでした。
また、寝られたとしてもすぐに余震と体の痛さで目が覚めてしまいます。
何も分からないことに対する不安と、先の見えない未来への不安。
とにかく、不安でたまりませんでした。
明日のことすら分からない。この先どうやっていくんだ...。
そんな不安を抱えながら、浅い眠りを繰り返しました。
そして、2日目。
昨日から連絡が取れずにいた母方の祖父母の家へ。
祖父母の家は、実家よりもずっと状態が酷かった。祖父母の隣の家までは、火事で焼けてしまったそうです。
ひっくり返った冷蔵庫。水浸しの床。砂まみれの家具や食べ物。津波の勢いで引き剥がされた壁。
とても住める状態ではありませんでした。
なおさら現実味がないというか。
当事者意識が持てないというか。
本当に大きな地震だったのだと改めて痛感しました。
とりあえず、祖父も祖母も無事だったので良かったです。
「当たり前」が、いかに幸せでかけがえのないものなのかを感じました。
これからしばらくは、寒くて不安な夜が続きます。いつ終わるかも分かりません。
もと通りになる保証もありません。
それでも、協力しあって、今日よりも明るい朝を迎えるために、今できる精一杯のことをしようと思います。
被災された方のご無事と、1日も早い復興をお祈ります。