大地震から始まった2024年1月。
きっとこの1ヶ月は、一生忘れられない1ヶ月です。
感情が揺さぶられた日。眠れぬ夜を過ごした日。人の温かさに触れた日。人の醜さに涙した日。
こんなことになるなら、地元の写真をもっと撮っておくんだったと何度も思いました。
当たり前にある日常の有り難さは、失ってから初めて気づきます。
登下校の道、穏やかな海、祭り、古き良き街並み、田園。
そのほとんどが、一瞬にして奪われました。
思い出の中の風景が、目の前から消えてしまったことに頭が追いつきませんでした。
また、今はまだ胸の中に残る風景も、年を重ねると共にいつかは忘れてしまうと思うと、本当に悔しかった。
たくさんのものを失いました。それでも、今もまだ残っているものがあります。
それは、人とのつながりです。なんなら、以前より強くなりました。
実家のお隣のおばさんは、井戸水を分けてくれました。毎日、おかずを作って持ってきてくださいました。お風呂にも入れてくれました。洗濯もしてくれました。マフラーもくれました。上越に帰ってくるときには、「ありがとうね、達者でね」とお小遣いを持たせてくれました。
避難所に避難していた親戚は、私たち兄弟にと、自分の分のパンを分けてくださいました。
ご近所の方のご家族(金沢方面にお住み)で能登まで親族をお迎えに来た方は、こちらに来る際に私たち家族の分まで食料や水を買ってきてくださって、たくさん残していってくださいました。
きっと、もうご近所さんには会えません。
ご近所さんはどの方もご高齢だったので、きっとこれからは親族の方と一緒に住むことになるのでしょう。
もう能登には戻ってこない(戻ってこられない)と思います。
21年間お世話になったご近所のおばさん、おばあちゃんたち。
別れるときには、「今までありがとうございました、お元気で」と声をかけることもできなかった。あんなにお世話になったのに。
朝起きたら、もう能登を離れられていた方もいます。あれがおばさん・おばあちゃんたちと会える最後だったんだなあと思うと、地震以前までの関係性を思って涙が出ました。
「会いたい」と常日頃から思っているわけではないですが、突然会えなくなってしまうととても悲しい。
だって、これからもこの関係が続くと思っていたのですから。
何もしてあげられなかったなぁと。だけど、よくしてくださった思い出や、何気ないやりとりは覚えていて。
ご近所さんとはもう二度と会えないかもしれませんが、思い出を忘れない限りはつながっていると思えます。
どこかで、健康に暮らせていますように。いつかは、心から笑える日が来ますように。
そう願い、思い出を思い返します。
思い出にほこりがかぶってしまう前に、また思い出します。
そうすれば、思い出が埋まってしまうことはありません。
目に見えなくても確実に存在するつながりを、これからはより一層大切にしていきたいです。